における「私」というものばかりが、半ば封建であった時のまま、狭く小さい「わたし」の中にとじこめられていなければならないわけがどこにあるだろう。一九三九年の時代に、文学の崩壊する無惨な光景の間で、婦人作家に社会性が乏しいからこそ守れたと云われた芸術性は、十年近い歳月を経て、変転した今日の社会事情のうちに、そのままでは決して婦人作家にとって歴史を漕ぎわたらせる船ではあり得なくなって来ている。文学における「私」は、現実にそれが生きているとおり、社会における「私」であることが十分自覚される時になっている。女たる「私」は社会的な意味では複数なるものとして自覚され、しかも、文学の母胎としてはそれぞれの「私」としての独自性がくっきりと、自覚されるべきときにある。
「私」の檻は開かれた。「私」は幾百万の私を底辺としてもち、したがってより強固な、より自覚され豊富にされた自分自身が確立されなければならない。日本の新しい民主主義の特殊な歴史の性格は、ヨーロッパのどの国ともちがう襞の折りめを、日本の婦人の社会生活とその文学の個々に可能としているのである。
この一年間に、日本では四百万人の労働者が組織された。
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