条件も見出せよう。遠い雪山の稜角が日光に閃くような趣の北畠八穂の文学は、素木しづ子の短篇が近代化された姿で思いかえされる。
『新日本文学』の作品コンクールは「死なない蛸」の作者譲原昌子と、「靴音」の作者高山麦子をおくり出した。
『婦人文庫』という雑誌が女流作家の特輯を出したりしているのを見て、心をうたれる思いがある。それはこういう場面に執着している何人かの婦人作家たちは、ジャーナリスティックな意味では、新進であろうのに大変書き馴れていて、その大さなりに殆ど爛熟してしまっている点である。単に筆の上だけでない爛熟が感じられる。どこで、いつの間に、こうして、婦人の生活と文筆の才能とは、頽れるばかりのものとされて来ていたのだろう。
 日本の女として、これまでに負わされて来た名状しがたいほどの苦痛と負担とは、一人一人の婦人作家についてみれば、誰一人として、そこから自由であったものはない。それぞれの形で、その人その人の角度で、みんな苦しく切なく生きて来ている。数百万の婦人たちと同様に。その苦しみは、婦人作家によって最も切実に描かれ、訴えられ、慰藉を与えられる筈だと考えるのは自然でないだろうか。すべ
前へ 次へ
全369ページ中360ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング