かりを見出そうとして来たすべての人々の善意を、正当な位置と見とおしとにおき直す必要がある。そして、それは、作者の内心に期されている将来への確信やそこに到達する自分としての好みに合うテンポの如何にかかわらず、既に今日、激しく求められているものである。主観的な善意にたよる文学上の危険が、ここに、逆な形で作用することが警戒されてよかろうと思われる。「キャラメル工場から」そして「施療室にて」などが、民主日本の人民の文学の歴史に再び見直されるのは、その作者たちをふくめる日本の民衆が、どこまで遠く歩いて来たか、かえりみてなつかしい昔の道標としての意味なのである。
過去十二年の間に、抑圧によって、僅か三年九ヵ月しか執筆発表期間をもち得なかった宮本百合子は、「播州平野」「風知草」などを発表した。
一時、作品の世界も混乱して見えた松田解子は、未発表の長篇を完成させるに程近い。野上彌生子は、軽井沢に疎開生活を送りながら、この作者らしい勤勉さで、最近「狐」「神様」と、譬喩めいた題の作品を発表した。身辺的な限られた別荘村疎開生活者のあれこれであるが、そういう傍観的な環境の中にさえ、時代の変動は様々の形で反
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