中国への侵略戦争がはじめられて間もなく、左翼運動の理由で検挙され、警察で重体に陥って久しい間病臥にいた平林たい子は、一九四六年の二月の『中央公論』に「終戦日誌」を、『文芸春秋』別冊に「一人行く」を、そして秋には「こういう女」を発表した。
「終戦日誌」は信州に疎開していて八月十五日に遭遇した作者の生活と周囲の状況を記録したもので、それは、本当に日誌の整理されたものであろう。従って芸術作品とすれば未完成というより素材的なものである。信州のその一つの村の中で、軍関係にあった人が、どんなにあわてて、貯金通帳までを焼きすてたか。どんなに流言がとび、どんなに人々が、「誰がかえったかよりも何を貰って来たかに興がった」という現実が記録されている。深夜に急に還って来た弟の素振りの腑におちなさ「あゝわが弟、数年間なる軍隊生活にて何を覚えしにや、悟りしにや」「瘠せて目が落ち、疲れたる寝顔は、我が弟の顔にはあらで『現代日本青年』という題の塑像なり。終戦以来、前途に燃ゆる火ばかり見つめて来りし自分は、ガタリと今石に躓きたる思いがする。足許は暗し、暗し。彼方は明し。」こんな時勢に、真面目に固いことばかりやってい
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