ていた宮本百合子が捕えられ、投獄された。そして、一方には、益々婦人を重労働に動員しつつ婦人作家たちに海をわたらせ、南方の諸島だの、ビルマだのへやった。『主婦之友』がその雑誌の一頁ごとに、「米鬼を殺せ」と印刷し、往年の婦人参政権運動者たちは報国貯金、戦時国債の勧誘に全国を遊説し、すべての学校は学徒勤労、学徒動員で半ば閉鎖されているとき、婦人作家たちは何かの婦人代表のようにきおい立たされて、派遣されて行った。
窪川稲子のような婦人作家までも、その動員に応じなければならなかったことは、一部の人々に意外の思いをさせた。「キャラメル工場から」を書いた窪川稲子、「くれない」を書いた窪川稲子が、侵略戦争のために協力するということは会得出来ないことであったから。一九四六年六月の『評論』に発表された「女作者」という短篇の一節が、この時代のこの作者の心もちを語っている。「戦争に対する認識は、多枝の抱いていた考えのうちで変ってはいないのに、隠れ蓑を着ているつもりの感情が、隠れ蓑を着たまゝ戦争の実地も見て来てやれ、と思わせ、また、兵隊や兵隊をおくった家族の女の感情にもひきずられて、その女の感情で」中国へも立
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