人々であった。かつて、プロレタリア文学理論が、文学のもつ社会性、階級性について語ったとき、力をつくしてそれに反対し、芸術至上の「純芸術性」を護ると称した人々が、一九四〇年代には自ら文学殺戮の先頭に立ったということは、記憶されるべき事実であった。
 同時に、国内の挙国的思想統制と並んで、保田与重郎、亀井勝一郎、檀一雄等の日本浪漫派の人々が、林房雄、中河与一、等と共に、「日本精神」戦争の謳歌を引き出す日本の「神ながらの道」たる絶対主義と天皇制の支配と伝統とを讚美した。ナチス文化とイタリー・ファシズムの宣伝も強力に行われて、日本の女詩人深尾須磨子はイタリーに行ってムッソリーニに会い、ファシズム謳歌の文筆活動を盛んに行った。軍御用の文学と、日本精神誇示の文学、軍と検事局はそれだけをみとめた。
 一九三八年の秋二十二名の文学者が陸海軍から「ペン部隊」として出かけ吉屋信子、林芙美子もいろいろの報告をかいた。林芙美子の「北岸部隊」は漢口一番のり、という風な戦時的センセーションを背景として発表されたのであった。
 一九三九年に、多くの婦人作家たちがその健筆と活動慾とを認められたということは、こういう時
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