ゆこうとする過程に、その社会の歴史のおいめと習俗のきずなが、のびたい女自身の足をからめるばかりか、根本にはそれを助けようとする精神で一緒に暮している筈の男の脚をも引からめて、そこに悲しい相剋紛糾を生む。そういう女の苦しみの文学としか読みようもなく思われる。
「くれない」や「素足の娘」の作者のそれよりも一層高い精神は、男性と女性との間に、反撥や闘争ではない別個の関係を発見するに相違ないし、また別個の新しい、美しい関係を創り出す努力もし、そのための探求もするに相違ない、そういう努力や探求がなくては女性の解放などあり得ない、と、批評の筆者は力説している。けれども、それは現実にどういうものとして在り得ると考えられているだろうか。最も偏見の少い筈の文学の領域でさえも、さきにふれて来たように日本のまだおくれている社会感覚が、様々の角度から男女の作家たちにとって桎梏となっている時に。――
「くれない」の作品の世界に目をやれば、広介と明子という一組の男女は、所謂婦人解放論者の男女対立の関係とはちがう社会的関係を理解し、歴史の進みを示す別個の新しい美しい両性関係をつくり出す可能のある社会条件をうち立てて
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