上主義こそ、現代社会の婦人に辛い生存事情によって最も悪質に蝕まれた結果の現象と云い得るのである。
この深刻な問題を、婦人作家が自ら打破し向上させて行こうとする努力は、どんな多難なものであるかという事実は、窪川稲子の「くれない」と「素足の娘」とをとりあげて書かれた或る批評の文章にもよくうかがわれる。
その文章の筆者によれば、「くれない」も「素足の娘」も、どちらも男性への抗議の書たる性格が最も濃厚だとされている。「現代の女性が自己解放ということに気負い立てば、男性への反撥や、男性との闘争が彼女の不可避の運命と考えられるのは十分に理由のあることだ。しかしそういう考えかたに終始している精神には、或る低さがある。」この作品は、「作者が高まろうとする意気込にもかかわらず、そういう低さを基調とした男性への抗議の書である」と感じとられて、そこから論議が発足している。
「くれない」「素足の娘」これらの作品は、男への抗議の書なのだろうか。私たち女が読めば、あれは男への抗議の書であるよりも、先ず女の苦しみの書であるとしか感じられない。女一人が、女として自分のうちにかくされている可能を見出し、培い、育てて
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