とも、虚構は真実にうちかてなかった。最後に、岡本かの子をのみこんだ淵は、彼女がその色濃い筆によって行った競争で、遂にとび越しきれなかった彼女の頽廃そのものであった。
 岡本かの子の文学によって、はっきりと示されたような主観的な生命主義の悲劇は、彼女の生涯とともに、日本文学の世界から消えさった問題であろうか。決してそうではないと思う。日本の近代社会は、封建の要素に深く浸透されていて、文学者たちが社会人としてもっている現実認識のうちには、どっさりの暗さがのこっている。自分が生きているその社会の歴史の本質と、自己との関係を具体的に発展の方向で把握しきっていない。その結果、文学についての理解にも、当然であるべき社会性が鈍くて、社会的人間としての各個人を把握する能力に乏しい。そのために、文学に実感を求めるときには、狭い主観的な経験にだけとじこもり、その経験を世代のうちにつきはなして評価する力量にかけている。人間の生存が社会と歴史との関係で正当に理解される時が来る迄、様々の形で岡本かの子の悲劇はくりかえされてゆく危険がある。

     十、嵐の前
          一九三七―一九四〇(昭和十二
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