れるのと同様である。
宇野千代、林芙美子という婦人作家たちは女と詩という、感性に立っていて、小林秀雄のように、「知的こんぐらかし」には立っていない。けれども、文学というものは、何と人間らしく、容赦なく又興つきないものであろう。作家の現実が、その人の文学をのりこえてしまったとき、文学はもうその人の書く作品の中にはなくなって、却ってその作家と出版企業とのいきさつが、近代小説のテーマと形象として浮き上って来るのである。
社会の現実のうちに階級と階級との対立があるという事実は、プロレタリア文学に対して、常にそれに対して、反対する一方の社会要素があることを予定している。
「新感覚派」と云われたグループは、六七年前、生まれて間もなく解体していたが、一九三〇年中村武羅夫の「花園を荒す者は誰だ」とプロレタリア文学を侵入者として見た論文をきっかけとして、十三人倶楽部による「新興芸術派」が組織された。中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿部知二、尾崎士郎、池谷信三郎等の人々であった。「新興芸術派」の特色は、これぞと云って系統だてて主張する
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