把えられ描かれた。小林多喜二が一直線な運動と文学との実践のうちに「蟹工船」につづいて「暴風警戒報」「不在地主」「オルグ」「工場細胞」「地区の人々」「安子」「沼尻村」「党生活者」と、彼の全生活を賭した闘争とその文学を創って行った時期、窪川稲子は、当時の運動が彼女に強いたあらゆる困難とたたかいながら二人の子供をつれて、絶えず窮迫しながら、記憶されるべきこれらの作品を生んで行った。一九三三年、日本のプロレタリア文化運動が全面的に圧殺されてからは、窪川稲子の作品も当然変化をうけた。すべての作家の善意と努力から階級としての表現が抹殺されなければならなくなった。彼女の文学の題材は、依然として勤労する者の生活を描き、その人間的成長の願望を訴えながらも、次第に男女のいきさつにあらわれる旧い不合理に対して、働き生活を担当する女として社会的にとりあげてゆく面に中心をうつして行ったのであった。
 窪川稲子のこの時代の作品は、その一つ一つにそれぞれ問題をもちながらも小林多喜二が社会と文学の歴史において、真に新しい本質に立つ到達点として画した線に並んで、どの時代の婦人作家も書くことの出来なかった女としての生活と
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