男の側からの「生意気でない範囲」を己の埒としていると同じように、文学の仕事も、つまりは六分の旧套を守って行われている上層社会の日常生活に負担とならない程のたしなみ或は余技とならざるを得ないわけであったろう。
 中島湘煙が、女に文学の業はふさわしい、台所や茶の間に一寸手帳をおいても物を書いて行かれるから、とその頃の女学雑誌で云っている。が、文学の本質的な精励は、半封建の日本の婦人にとって、上流人であってさえも、そんな手軽なものでなかったことを現実が証拠だてている。また篁村が「絵画と小説は特に婦人に適す」と云ったことは、近代のロマンの精神の理解に立って、婦人の社会生活のひろがりとそこからの表現の可能としてとりあげられているのではなかった。小説というものについての前時代的な解釈、軟文学としての理解で、女にも出来ることという過小評価が吐露されていたことがかえりみられるのである。
 この時代に「婦女の鑑」一篇を発表して、その後の文学活動は見られなかった木村曙の作品は、私たちの心にのこる何かをもっている。筋の組立ての人為的な欠点や文章の旧さ、登場人物の感情の或る不自然さなどが欠点として目立つにしろ
前へ 次へ
全369ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング