されやすい情熱である。だが、何故この作者が、勤労者の日常生活として見たものは「悲しき愛情」の石上の心理と、その妻小枝の生きかたでなければならなかったのだろう。嘗て「投げすてよ!」で侮蔑をもって語られた男の態度と同じように動く石上の心理と、自分を食わせてくれる男と一つ家に棲むからには、それなりいつか夫婦になることをあやしめない小枝という女を、特に何故働くものの日常生活や感情典型としてこの作家はとりあげなければならなかったのだろうか。
 英雄的に動く男女ばかりが、一般の働くものの心持の全部を代表するものでないと主張しようとするならば、小枝のような女の生きかたも、又それなりでは決して働くものの生活の現実の心持を語っている典型とも言いきれまいと思う。この作品を社会と文学との歴史の中において読みかえすと、作者の意図は、勤労する者の感情をどこまでもリアリスティックに描き出したいという単一な愛から出発しているより、寧ろ、プロレタリア文学の一方で或る理想化が行われているのに対して、これが現実だ、と反対の一つのものを自分の作品によって強烈なスポット・ライトの下に提示しようとしたところにあるように理解され
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