品に応用されるや、それは所謂『政治的曝露』や進軍ラッパの理論となり」「事実上芸術の否定にまで到達したのである」と。
 一九三四年、プロレタリア全文化運動が弾圧によって崩壊しようとしたとき、日本プロレタリア作家同盟が書記長鹿地亘の執筆による「日本プロレタリア文学運動の方向転換のために」「文学運動の新たなる段階のために」を発表した。その前後から、作家同盟内には、既に獄中にあった蔵原惟人、三三年二月に虐殺された小林多喜二等に対する「政治的偏向」の非難がわき立っていて、三三年頃に発表された殆どすべての論文には、前小冊子と同じに蔵原惟人などの指導上の誤謬ということをあげないものはなかった。検事局の求めるその誤謬指摘[#「誤謬指摘」に傍点]によって、実に多くのプロレタリア文学者の政治と文学の階級性抹殺に役立てたのであった。僅か四年前「プロレタリア文芸批評界の展望」の中で、「目的意識論」の功罪を明瞭にして、芸術の芸術としての独自性を語っている蔵原が、もし発言する自由のある境遇にいたら、果して、あれらの批判は存在し得たであったろうか。些細に見えるこの点が、今日くりかえして一般の前にとりあげられなければ
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