と云い得る。歴史のすべての例を見ても、「偉大なインテリゲンツィア出身の革命家が理論のみならず実行において、如何に働き献身し、実効をあげたか」労働階級が自分たちの文学を生みだす過程に知識階級は協力するものとして理解された。第三に、プロレタリア文学の形式の問題がとりあげられた。初期の自然主義的な手法にあきたりない金子洋文、村山知義などの人々はドイツの表現派の影響をうけエルンスト・トルラーやカイゼルに追随していたが、ルナチャルスキーが表現派を大戦後のドイツの小市民的感覚から発生した様式であるとした判断に賛成して、プロレタリア文学の様式は表現派でなければならないという一部の論に反対した。
 一九二五年十月(大正十四年)に『無産者新聞』が創刊され、二六年には労働農民党(略称労農党)が結成された。この前後のいきさつは河上肇の自伝の中にも興味ふかく物語られているが、この頃から、従来ひとくちに「無産階級運動」と云われていた解放運動のなかで、アナーキズムとマルクシズムとの対立がはっきりとして来た。労働組合の方では、労働総同盟が分裂して組合評議会が誕生し、労農党の分裂は右翼に社会民衆党をつくり、中間に日本
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