に多くの犠牲者を出しつつその活動をつづけたが、出版事業の方は次第に恢復し、作家の活動は再開したのであった。一九二四年の六月頃には、震災と反動の波の下でつぶれた『種蒔く人』の後身である『文芸戦線』が発刊され、二五年の中頃からは、再びプロレタリア文芸運動も前進をはじめた。
 ここで、第一次欧州大戦後の日本の文壇がどういう状態におかれていたかということを改めて見わたす必要がある。
 第一次大戦中からひきつづく好景気と物価騰貴につれ、一般に作家の原稿料がひき上げられた。一九一八年に、米が一升五十八銭になったために富山の漁民の妻たちがその烽火をあげた米騒動が全国に波及した。一方では、内田信也その他の戦時成金が出来て、純金の足袋のコハゼをつけて誇示する有様もあった。所謂好景気につれて、出版企業も急速に大きくなる方向を辿り、従って、作家の原稿料もいくらか高騰したのであった。
「無名作家の日記」から発足して多くの短篇をかいていた菊池寛は、大正九年朝日新聞に「真珠夫人」を連載して、好評を博してから、段々と新聞小説に移りはじめていた。菊池寛の「屋上の狂人」と「恩讐の彼方に」そして、「忠直卿行状記」は、作品
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