複雑であり、内面的に鋭く相剋するものから発端した。有島武郎が、二十八歳のとき、教育者になろうか、文学者になろうかと迷ったということなどなかなか意味の深いことだと思われる。
 明治十一年という時代に生れた武郎は、幼時から「出来るだけ欧米の教育」を授けられる一方、「最も厳格な武士風の庭訓を授けられ」、三十二歳の年、『白樺』創刊とともに作家活動に入る迄には、子供のうちから植えこまれている様々の内的矛盾に苦しんで、一度ならず自殺しようとしたほどの精神の葛藤を経た。大正六年前後から作家活動が旺盛となり、ヨーロッパ文学の系統に立つ構成力や、流達であると同時にやや講壇風なところもある表現の力強さ、重厚な描写の間に、この作家のきわだった特質である心のやわらかさ、感傷が、人類の愛の正義に立つ芸術家としての彼の作品に常に一抹の哀愁、甘さとして加わり、当時の若い人々、知識婦人などを魅した。
 上流生活の面倒な環境と結びつきながら作家として有島武郎が抱いた人類のひろやかな自由と愛への憧憬ははげしかった。絶えず彼の内部に存在したヨーロッパ風の自由主義に立つ教養と家風にしみている武士気質の躾との間の衝突、そういう
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