とする社会主義的な希望に立たせ、普選や婦選をその目的に沿う条件の一つの具体化と見るようになった。そして、ひとくちに婦人と云っても、それぞれの属していた社会層と、その集団が歴史の進展をどう把握しているかということで、婦人の間にも社会的な立場というものが、次第にはっきりわかれはじめ無産婦人運動が擡頭したことは意味ふかい事実である。昔、堺真柄などを中心とする赤爛会が小規模な無産婦人運動のさきがけを示した。後、大正八年に総同盟婦人部というものが、労働婦人の利益を守って、組合の活動で当時婦人の、勤労婦人の向上を計るために作られた。大正十三年総同盟の関東同盟が分裂して、関東地方評議会となったとき、ここに婦人部が設けられ、無産婦人運動は、組合活動から政治的闘争にうつり昭和二年には左翼の立場をとる若い婦人たちによって関東婦人同盟が創立された。
 文化のひろい面にも、本質的な変化が現れはじめた。東京帝大文学部が初めて婦人聴講生を許可して、一部の好学の若い婦人たちの胸をときめかせた次の年、女子のための労働学校がひらかれた。
 時代はこのように一年一年と推移して、文学の面でも人間らしく生きようとする民衆の意
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