めな変り咲きであった。『文学界』の人々の若々しく醇朴なロマンティシズムは、一葉の芸術に影響した過程をみても明らかなとおり、本来は前進的な意味に立つものであった。が、十年を経てあらわれた樗牛のロマンティシズムは、ニイチェに追随して自己の解放を個人主義に立つ観念の内に求めたばかりでなく、云うところの美的生活の実態を明らかにし得なくて、英雄崇拝に趨り、日蓮への憧憬に終末した。
 雷鳥のロマンティックな天才についての翹望と理解の方向、自己を天才たらしめる道ゆきの定義は、其が社会の中での動きから超脱した個人の主観に基礎を置いていることからも、非常によく樗牛のロマンティシズムの影響をうけていることが感じられる。その面からだけ見れば、雷鳥の調子たかいロマン精神も、根本にはいかにも小市民層の特色を湛えた性質をもっているものであったと思う。当時の日本の社会は、日露戦争の後をうけて国内保守の状況にあって、『青鞜』発刊の明治四十四年には有名な幸徳秋水の事件のために菅野すが子が死刑に処せられたときである。河田嗣郎著の婦人問題という本が発売をとどめられた時代。鳩山春子がデンマークの婦人参政権大会からの招待を拒絶
前へ 次へ
全369ページ中121ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング