たのは、明治四十一年、ダヌンツィオの「死の勝利」をもじって「死の勝利」事件と云われ、当時の耳目を聳動させた文学士二十五歳の森田草平と女子大学生平塚明子との塩原の雪の彷徨事件であった。「教育界の胆を奪い、芸術界の人士をして之あるかなと膝をうたしめた」というような文章が当時の文芸雑誌に見えるのも、今日から見れば時代の色があらわれていて興味深い。事柄の核心は、恋愛と、それに絡む若い文学好みの男女の自我の観念上の格闘であるが、その時代の空気の中では、二十歳の明子が「われは決して恋のため人のために死すものに非ず。自己を貫かんがためなり。自己の体系を全うせむがためなり。孤独の旅路なり」という遺書をかいたということさえ、従来の女にあきたらず、しかもあきたりない女を生む社会の条件が自分にも作用していることに理解の到らなかった「人士」に対して一つの衝動として受けられたのであったろう。
森田草平は小説「煤煙」の中で、そのいきさつを描いた。当時の若い知識人の生活感情の混乱と矛盾とがこの「煤煙」によく窺われる。旧来の男の身勝手な生きかたと自然主義的現実曝露の気分との混淆で生きる主人公が、禅学趣味をもったり、
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