い出した一人二人の女に、どれ程強烈な色と、角度を求めて、それを自身の趣味に誇張して創ったかと、おどろきを与えられる。そこには、一人の自然な女がいるよりも、男である作者の好みがいる。女主人公に作為されたロマンス的美と思われた奇矯さは、その衝動のあらわさ、本当の思想性ヒューマニティーの粗末さで、今日、寧ろ厭味であるし幼稚を感じさせる。文学作品の世界では、自然派の男の作家によって描かれる女と対立して、以上のような人工女も描き出されているのであるが、現実生活の中で、当時の若い婦人たちは、どのように時代の波をその心身に浴びていただろうか。
自然主義で云われた獣性の曝露は、男と同じような直接さで婦人の感情の必然に結びつかなかった。所謂肉慾描写というようなものが、いきなり女の創作のなかへそれなりの形で移入し得なかったのは、女の生きて来た長い深い社会的な理由からも当然であったと思う。
男が自身のいろいろな欲望の積極的な表現について自覚し、それを追究してゆくと全く同じ態度で、女が男を対象として自分たちの中にそれ等の獣的なものを発見し追求してゆくほど、生物的な面でさえ女が自主的であり得たためしは、過去
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