、嵐の前 一九三七―四〇(昭和十二年以降)
十一、明日へ 一九四一―四七(昭和十六年―二十二年)
[#ここから2字下げ]
前がき
この「婦人と文学」は、はからずも思い出のこもった一つの仕事となった。
一九三八年(昭和十三年)の正月から、進歩的な数人の作家・評論家の作品発表が禁止されて、その禁止は翌年の三、四月頃までつづいた。やっと、ほんの少しずつ短いものが公表されるようになったとき、偶然三宅花圃の思い出話をよんで、そこに語られている樋口一葉と花圃との対照的な姿につよく印象づけられた。それについて、随筆のように「清風徐ろに吹来つて」を書いた。そしたら、興味が湧いて自然、一葉の前の時代についても知りたくなり、またその後の日本文学と婦人作家の生活も見きわめたくなった。
日本の社会生活と文学とが日一日と窮屈で息づまる状態に追いこまれていたその頃、大体近代の日本文学はどんな苦境とたたかいつづけて当時に到っていたのか、その努力、その矛盾の諸要因をつきとめたくなった。人生と文学とを愛すこころに歴史をうらづけて、それを勇気の源にしたかった。そこで一旦「藪の鶯」に戻って、年代順に一九三
前へ
次へ
全369ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング