時格別の批評もなかった。しかし、二十年ばかりの間、この作者が真面目に、苦しみ多く、しかも内輪にかきつづけて来た作品の世界を知っている読者は、この「憑きもの」一篇をよみ終ったとき、しずかな涙が湧くのを覚えたろうと思う。処女作品集『秋』から『光子』『妻たち』『汽車の中で』『若い日』その他重ねられている網野菊の人生の図絵は「憑きもの」に要約して語られているとおり、日本の下町の複雑な家庭のいきさつとその中での女、娘の生きて来た姿であり、更に、大学を出て、哲学をやっても妻というものに対してはおどろくばかり旧い常識に立っていた良人との生活、その破綻の図絵であった。しきたりのうちに育って、自分もそのしきたりに縛られているところもありながら、人間らしさで、人生の大半をそこにある不条理に苦しみつづけた作品の世界であった。作者は、これまでそのいきさつの中で揉まれ、こづかれ、傷けられる女主人公の姿を追って、克明に描きつづけて来たが、決して、客観的に問題を展開して来なかった。日本の社会における婦人の問題、家の問題として構成してはとりあげず、芸術によって常識とたたかうことをして来ていなかった。そのために、この作者の作品は、地味な玉縫いの縫いつぶしのような効果で、一つ一つ見れば、「妻たち」にしても、心のうたれる作品であるのに、芸術として何か一つの力、何か一つのバネが欠けている感じを常に与えた。女主人公の境遇と心境の外へ作者は出られなかった。女主人公を芸術の世界で奮起させ、積極的にテーマを展開させる、そういう張りが不足していた。
「憑きもの」をよんだとき、この作者を知り、評価しているものの眼に泛ぶ涙は、ヒロと一緒にホッとして、一つの新しい境地に出て来られた作者への慶賀の涙である。
この作者らしく「憑きもの」も沈んだ筆致で、最後の文章は「拍子ぬけの気持も感じるのであった」とかかれている。が、この作者が、「若し、ヒロが生れた時から既に日本の妻が夫と対等の身分でいたものであったら、ヒロも実母も一生の間の苦労は二人がすごしたものとは違ったものになっていたであろうに……。ヒロの子供時代の悲しみもなくてすみ、人生観も変っていたかもしれない……。」「敗戦は日本の婦人達に参政権を贈った。『女も哀れでなくなる時が来た』とヒロは思った」と書いているのをよむと、これまでの苦しい小説の世界から、今はこの作者も歩み出せ
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