って行った、と。だが「女とは云え、それなりの作家根性でもうそれより先には日本の陣地はないというところまで進んで行った」心持は、林芙美子に漢口一番のりをさせた女ながらも[#「女ながらも」に傍点]と、どのように本質のちがったものであり得たろうか。
時の経たいま、そのときをふりかえれば、「女作者」の作者が告白しているとおりの現実でもあった。「隠れ蓑を着たつもりのまんまで、自己を失ったことに気づかず、軍指揮者の要求を果したのである。そして自分では、はっきりとこの目で日本の戦争の実相を見てきた、と思っていたのである。多枝の見て来たと思う実相は、日本の侵略戦争が中国側のねばりで、たじ/\である、ということだったのである。そして、女の感情で、兵隊の労苦を憤る前に、泣いたのである」「多枝たちの泣いて語る話が、手頃に必要だったのである」しかし、「女と云え、それなりの作家根性」が、現実の文筆にどう表現されただろう。第一、婦人作家があれだけ多数、のべ時間にしてあれだけ長期、各地に派遣されたのに、文学作品として小説は一つも創造され得なかった。このことは、現実がこれらの婦人作家たちを圧倒していたことを直截に物語っている。報告文学が書かれたが、その場合でさえ、森田たまのように、自分[#「自分」に傍点]が前線でどんなにもてなされたかということを語るに急な例さえもあった。内地から来る彼女のために、タンスをそなえつけようとして間に合わなかったと云われたという風に。第二に、報告風の文章でさえも、「兵隊さん」に対する一種独特な感傷と、指揮者に対する信じられないような服従の表現がつかわれていて、敬語と下手の物云いとが、すべての婦人作家の報告的文章にあふれている。「おめにかゝる」何々して「いられる」その指揮者の「お子さんがた」「御自身の口から」云々。婦人作家自身、女ながらもと飛行機にのり、弾丸の来るところへ出てゆく、その行動と、文筆の表現の上に目立つ特別に封建風な敬語の矛盾は、当時の情報局が、そうさせたという限りのものなのだろうか。日本の女性は、いつも二重の重荷を負わされて来ている、働く女として、同時に古い女として[#「女として」に傍点]の約束によって。いつも上官の前では小腰をかがめているこれらの婦人作家の前線報道は、そういう環境で「日本の女」というものに対して何が期待されていたか、推測するにかたくないよ
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