ている。しかも今日、日本の社会と文学との野づらを吹く風は、決して駘蕩たるものではない。こわれて軒の傾いた現代文学の一隅に、女姿と女心とにより立つ婦人作家の存在が、高い波浪の間でどのように自身の文学成長を遂げて行くであろうか。昭和十五年の夏に婦選の団体が、十八年の歴史を閉じて解散した。このことは、婦人と文学の課題にとって、別世界に起った無関係な事実ではない。個々の私たちの生活感情にとって、女権拡張という範囲での婦人参政権獲得運動がどううけとられていたにもせよ、日本の歴史のひろい景観の中にこの事実をおいて眺めれば、この社会条件のなかで日本が更にひろやかに自分を成長させてゆくために役立つ一つのものを獲たのでないことだけは明白である。婦選の団体さえも存在理由を失った今日、社会一般に加えられている重圧の意味を、わたしたちは十分に知らなければならないと思う。このような事実を考えて来ると、再びヴァージニア・ウルフの文学についての考えかたが、省察にのぼって来る。ヴァージニア・ウルフは、十年ばかり昔に書いたその論文の中で、女性の文学的成長の可能を、次のようないくつかの条件の上に見出そうとした。「年五百磅のお金と自分ひとりの部屋を」「自由ある習慣と、自分の思うことをそのまま書く勇気とを得るならば」と、先ず経済的安定、時間、世俗的な慣習の放棄、精神の真の自立性とを得て百年も経てば、婦人も初めて文学らしい文学を創るであろうと予想している。ジョウジ・エリオット、ジェーン・オースティン、マンスフィールドその他の作家を近い先輩としてもっているイギリスで、ウルフが婦人の生活と文学の問題を考えたとき、希望するのが、このような条件であるということは、現代のヨーロッパ「文明」が婦人にとってなおどういうものであるかということを深刻に考えさせる。ウルフは第一次欧州大戦後、イギリスの文学にシュール・リアリズムを導き入れた芸術至上主義の立場の作家である。彼女の小説は、いつも現実の時間と空間とを飛躍した潜在意識の世界に取材された。そのように現実から翔び立つ作家が、その反面で、きわめて実際的に、イギリス中流の習慣的観念にとどまって、文学は生活安定と教養ある閑暇とから育つと語っていることは注目をひかれる。彼女はその証拠として最近百年間におけるイギリスの大詩人たち十二人のうち、三人だけが大学出でなかった、ことをあげてい
前へ 次へ
全185ページ中162ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング