したおそるべき女の力を描き出している。
トルストイがどこかで語っている。「文学の第二流の作品では、男の作家の書いたものより、婦人作家のものに却ってすぐれたところがある」と。婦人の作家は、素朴であるかわりに、人生に対して、より人間らしく、より不正に対して敏感であり、真率な真心で読者の心をうつものをもっているというわけである。ジョルジュ・サンドの古典的ないくつかの作品。ポーランドの婦人作家オルゼシュコの「寡婦マルタ」、マルグリット・オウドゥの「孤児マリイ」その他パール・バック、アグネス・スメドレイ、丁玲、ワンダ・ワシリェフスカヤ等の作品はこの事実をうなずかせる。昭和十四年という歴史の頁の上で、少からぬ日本の婦人作家群のうちの何人が、少くとも、明治末・大正中葉の、女も人間であるというつよい主張に立って、自身の文学を自覚し制作していたであろうか。
すべての婦人作家は、婦人に人間らしいひろやかで自立した生活を求める心から、小説をかきはじめたのだと思う。婦人が文学に入り、小説をかきはじめる真実の動機は常にそこにあって、ヴァージニア・ウルフの云っているように、小説という文学の形式が未完成であって、女の手にとられやすいから、婦人が小説を書くというばかりでは決してない。
十八世紀に欧州の中流の婦人が、小説をかき初めたという歴史が語る真の意味は、その頃にやっと婦人に文学を許すところまで社会が進歩したということである。ジェーン・オースティンの「誇と偏見」が書かれた年は、ロバート・オーエンの『新社会観』が出版された時代であった。オースティンがユーモアをもって諷刺した英国中流人の女性観、結婚観、家庭観は、この世紀にメリー・ウォートンクラフトも、激しく社会革命の対象として論議したのであった。
日本の現代においても婦人作家の出発が、文学以前の人間らしい要求においては、婦人をめぐる重く苦しい伝習への疑問と抗議と解放への欲求から発足しているのに、文学の道を辿る何年かの間におのれのうしろに幾艘かのボートを焼きすてた果は、見捨てて出発した筈の旧い「女心」の擬態によって、文筆における婦人としての領野を辛くももちこたえなければならないのだとしたら、それは寧ろ惨澹たるものが感じられはしないだろうか。この意味では、婦人作家が、「生々しい現実に下手に煩わされていない」ための芸術至上主義と評されたその芸術至
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