という事実である。
 現代文学の一つの時期として眺めると、昭和十四年は経済界の軍需インフレにつれて、出版界の乱調子な無責任な活況がおこり、インフレ出版、インフレ作家という呼び名さえ生じた時期である。一方では、文学の質の低下という問題が、深刻に露出して来た時代であった。書き下し長篇小説というものが流行したが、それらの長篇小説は文学作品としてのゆたかさ、高さを示すよりもひたすらそれをひきうけた作家の健康にたよったように書きおろされ、売られ、しかも、文学らしい文学をもとめる人々の心の渇きは愈々|医《いや》されがたいという状況にあった。十二年の七月以降、長篇小説への要望は急なカーヴを描いて生産文学、農民文学、大陸開拓の文学という方向へ流れ、それらの文学は、益々作家をつよい力で支配しはじめた戦争協力への要求、それを標準とした検閲などによって、出版され、売ることを許可される作品をつくり出すために、作家たちは自身の文学の中に辛うじて生産の場面、農村の場面、移民の状況という皮相な題材を把え得たばかりで、それぞれの題材が、現実の社会の中で、どんな矛盾、どんな錯誤とそれにからむ人間生活の相貌を呈しているかという、生活的真実を文学の真実として描き出す可能を全然喪いつつあった。書き下し長篇小説の出版を可能にした軍需インフレーションは、そのような経済事情の変調をもたらす戦争によって日本の文学の真実の声を殺戮しはじめていたのであった。人間真実が失われて平然たる長篇小説流行に抗して、作家の内的な真実と作品の世界の統一をとり戻そうとする希望から、短篇小説の意味が再び注意をひきつけたのがこの時期であった。こけおどしのあやつり人形のような人物、筋ばかりの小説に対して、生活の偽りない物語を求める気分は、豊田正子の「綴方教室」だの小川正子の「小島の春」だのへ異常な興味をひきつけた。その観察や表現に偽りのすくないというねうちから、川端康成によって「素人の文学」或は「女子供の文章」の評価が云われたのも、この時代であった。この現象を別の言葉であらわすならば、当時の文学は、遂に一番低いところを流れる自身の水脈をさえ荒廃させてしまって、今は、文学の外を流れるかぼそいせせらぎの音に懐しくも耳を傾けるという事情に立ち到った次第であった。こういう特別な時期に、近代文学の歴史の中ではいつも不遇である婦人作家たちが、いくらか
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