讚美を、あてどのない氾濫から導き出して、それをいくらかでも生きるに甲斐ある現実人生の営みの上に、うち立てさせようとする理性の批判や暗示をきらった。たしかにそのような批評は、彼女の身について益々醗酵しはじめていた生の饐《す》えた香り、美が腐敗にかわる最後の一線で放つ人を酔わす匂いをさますものであったから。そして、芸術家として、最も主観性のつよい、従って、己れにたのむこともつよい彼女はわが身のまわりに花環のような讚美というものをこのんだから。
 当時の「人間復興」が、人間のよって生きる歴史や社会との複雑な関連を無視していたために、どんな悲劇的な形で人間性氾濫に陥ったかということは、岡本かの子の文学の、撩乱たる空虚を例として、痛切に感じられる。岡本かの子の急死には、哀憐をさそうものがある。彼女が、作品に、また感情波瀾に、いのちをあふらしつくした最後の数年間は、色彩と影ばかりであった。実は空虚な横溢に、かの子は実在と感じていた美をもって追いかけ、それを内容づけようとし、云わば虚無と人工との競争であった。しかし、人生のリアリティーには作為をゆるす限度があった。その努力が、どんなにいじらしくあろうとも、虚構は真実にうちかてなかった。最後に、岡本かの子をのみこんだ淵は、彼女がその色濃い筆によって行った競争で、遂にとび越しきれなかった彼女の頽廃そのものであった。
 岡本かの子の文学によって、はっきりと示されたような主観的な生命主義の悲劇は、彼女の生涯とともに、日本文学の世界から消えさった問題であろうか。決してそうではないと思う。日本の近代社会は、封建の要素に深く浸透されていて、文学者たちが社会人としてもっている現実認識のうちには、どっさりの暗さがのこっている。自分が生きているその社会の歴史の本質と、自己との関係を具体的に発展の方向で把握しきっていない。その結果、文学についての理解にも、当然であるべき社会性が鈍くて、社会的人間としての各個人を把握する能力に乏しい。そのために、文学に実感を求めるときには、狭い主観的な経験にだけとじこもり、その経験を世代のうちにつきはなして評価する力量にかけている。人間の生存が社会と歴史との関係で正当に理解される時が来る迄、様々の形で岡本かの子の悲劇はくりかえされてゆく危険がある。

     十、嵐の前
          一九三七―一九四〇(昭和十二
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