もあるだろう。多摩の旧家の愛娘で、小作人たちなどとは、言葉など交したりしないものとして育った一人の特殊な天稟のかの子と、「町の画家で生活を派手にするばかりに」十二のときから絵を習わされ、「あの円い膝にすがりつき心の底から泣くそのことによって過去世より生みつけられたこの執摯捨鉢な道化者の心がさっぱり洗いきよめられる」ことを願って結婚した良人との生活で、この作家の経た心の風波は激しかった『かろきねたみ』に詠まれているように、
「いとしさと憎さとなかば相よりしをかしき恋にうむ時もなし」
 いとしさと憎さの半ばする漫画家岡本一平との結婚生活の七年に、「愛のなやみ」の身を捩るばかりの感情世界をも経た。
「なやましき恋とはなりぬうらめしさねたましさなどいつか交りて」
「我が許へまことふたゝびかへり来し君かやすこし面変《おもがは》りせる」
 更に七年を経て大正十四年にまとめられた『浴身』では、「かの子よ、汝が枇杷の実のごと明るき瞳このごろやせて何かなげける」と、自身を歎じた悩みの時代はすぎたように見える。何か内的な展開がもたらされた。そして、このころからこの女歌人は、
「春寒にしてあしたあかるき部屋のうち林檎の照りをとみかう見つゝ」とうたい、やがて、そのリンゴの可愛さにひかれてリンゴを持ったまま朝湯につかっている女としての我が心のはずみを、我からめで興じ、いとしみ眺める域に歩み入っている。この時代に辛苦であった経済事情も、ある安定を得たらしく見られる。
「おのづからなる生命《いのち》のいろに花さけりわが咲く色をわれは知らぬに」
「花のごとく土にし咲きてわれは見むわが知らぬわれのいのちの色を」
 昭和四年外遊の前に出た『わが最終歌集』では、
「舞ひ舞ひて舞ひ極まればわがこゝろ澄み透りつゝいよよ果なし」
と、成熟感が自覚されている。
 昭和十一年に晩年の芥川龍之介が登場する「鶴は病みき」が『文学界』に発表され、岡本かの子の作家としての出発が開始された。続いて「母子叙情」「金魚撩乱」「老妓抄」「雛妓」「丸の内草話」「河明り」その他昭和十四年の二月に急逝するまで、彼女の作品は横溢的に生み出された。
「をみな子と生れしわれがわが夫に粧はずしてもの書きふける」
とよむ状態のうちに送り出された。
 この作家の世界の特色は、作品の量の多産とともに、溢れる自己陶酔、濃厚な色彩の氾濫、「逞しい生きの
前へ 次へ
全185ページ中145ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング