に傍点]のように描き出す修練に、文学をすりかえなければならないのだろうか。小山いと子が困難な前途において、彼女の生活力をどう発揮し自身の精力的な文学上の野望と殆ど歴史的な矛盾を、どう処理してゆくかということは、決して一人の小山いと子の問題に止らないのである。
 この時代の日本の文学が、数年の間「人間復興」の声をあげつづけながら、社会と文学認識の封建制、軍事性に負けつづけ、ヒューマニズムの文学、能動精神の文学、より社会性のある長篇小説と求めつつ、一歩一歩と、文学の中から人間らしさと文学らしさとを喪って行った姿は、殆ど涙せしめるものがある。社会性を否定して、どんな生きた人間の心が描けよう。どんな人間も社会と階級以外のところに生きてはいないものを。長篇小説と云えば、バルザックをとりあげてみないまでも活社会の活人間を描く力量が必要である。人間をつかまえ切れない当時の長篇小説への欲求は、忽ち題材主義に赴いて、人間の生ける心情の追放となって行った。そして、この社会の現実として現れる人間関係を文学の中に生かす努力を放棄した敗北的な作家の専横とでもいうべきものは、一面では生産文学を生み出すとともに、他の反面では、一見正反対のようなロマンティックな芸術態度を生むきっかけとなった。それぞれの側からだけ見れば、生産文学と岡本かの子の濃厚な自己陶酔とはまるで異った世界をつくり出しているように見えながら、実は不幸な背中あわせの時代的双生児で、共通の一本の脊骨は、現実探求の放棄、創作過程における作者の恣意という因果で繋がれていたのであった。最近の二三年間に、特殊な歌人作家岡本かの子は彼女の命のあやを吐きつくした。この婦人作家の独特さは、現代の文学が一九三三年以後とめどもなく駈け降りつづけた異様な「人間肯定」の坂道の上にまき起った真空に、吸いよせられて、そこに咲き出したものであった。
『青鞜』の頃既に歌人として歌集『かろきねたみ』などを著していた岡本かの子が、小説の仕事にとりかかりはじめたのは、昭和七年ごろ、外遊から帰って以後のことである。
 彼女にとって「初恋だ」と云われていた小説が、この時代に開花しはじめたについて、どんな内部の展開が経過されたのか、略伝に記されているとおり、外遊が薬となって利いたという点もあるにちがいない。ひろめられた見聞によって自分の情緒の世界に確信が与えられたということ
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