文学のうちそとでは、能動精神ということが云われはじめた。当時の日本の治安維持法という野蛮な暴圧のある社会。そのために文学における社会性階級性の問題も一九三三年以来はまともにとり扱われることのなくなった当時の日本の文学に流れ入っては、全く独特な変調をとげた。不安の文学という声が響いて以来、すべての中間的なインテリゲンツィアの心理に瀰漫した思惟と行動との不統一、分裂は遂にその低迷と無気力とで人々を飽きさせて来た。その沈滞を破ろうとする、「行動主義の文学」が求められ、能動精神が唱えられて来た。しかし、フランスを中心としておこったファシズムから文化を守ろうとし、人間性を守ろうとした人民戦線運動が、小松清その他によって日本に紹介された当時から、反ファシズムという、きわめて重大な民主的政治的文化活動の基本になる政治性つまり階級性というものを、日本での提唱者は極力抹殺した。文化文芸における人間復興の希望も、現実的に一貫した方向をもち得なかった。真の人間らしさ、輝やかしい人間性の群像からみれば、頽廃そのものは一つの非人間的な社会現象であるにも拘わらず、頽廃の人間的肯定をいう高見順の作品のような文学現象も見られた。人間らしいものと人情的なものと混同。人間の機能のうち感性的な面だけを自覚しそれを主張する生命主義的な傾向、所謂「知性の彷徨」の正当化。それらはすべて人間肯定の名によりながら、結果としては、各人各様の主観的な文学上の主張により立たせることとなった。川端康成の模造された美の文学世界。武田麟太郎の世塵の世界。北條民雄の死と闘う病者の世界。坪田譲治の稚きものの世界。尾崎士郎、石坂洋次郎などの作品とそれに背中合せのような島木健作の所謂良心的作品、阿部知二の「知性」の文章の世界などを展開させた。それらの種々雑多な作品の主観的な主張に対して、文芸批評は殆どその本来の性質を失っていて、客観的に社会と文学の統一的な現象としての作品研究や、評価にあたる任務に堪えなくなっていた。「批評文学」などという呼び名を生んだ随筆的批評の傾向さえ現れて、批評家たちは十何年も昔平林初之輔や青野季吉、蔵原惟人等によって、やっと、客観的な文芸の批評の基準がきずかれた貴重な到達点を、放棄してしまった。人間復興の声が、当時の社会の雰囲気のゆきづまり渋滞を破ろうとする要求から、文化の楯として要望されながら、人間性の恢復
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