女から求婚を拒絶された河井が偶然その地方へ考古学上の発掘に来て再会する。彼は時代の激しい潮流に対しても、生ずべきものが生じつつある、と観る人間である。「どんな社会でも、自分たちの過去ははっきりさせる願望を捨てないでしょうから」と専門の学問への確信をもちつつ「正直なところは、当分何事も起らないで、やりかけのものを落付いて続けて行ければそれが私には仕合せなのです」というのが河井の生活の感情である。
 三月前とは心持の違って来ている真知子は、そこに「人間としての真実を見た」。やがて河井の資本系統の会社にストライキがおこり、それを知った真知子は、急に東京へかえる気になった。その汽車の中で河井が会社を職工の共同経営にまかし、研究所だけをのこして不動産の殆ど全部をなげ出すことにしたことを知らされる。真知子の周囲のものたちは、殆ど破産した河井と結婚しなかった彼女を「運の強い方よ」とよろこぶのであるが、「この時ほど河井に対する彼女自身の隠されていた愛を、はっきり感じたことはなかった」というのが、真知子の心の結果である。
 米子は、自分たちの生活にある矛盾も不自然も遠いいつかは矛盾でなくなり、不自然でなくなるという漠然とした期待はもちながら、現在の悲しみによって一層関に結ばれている自分の心持を肯定し、その心持は「関に関係はないわ。私ひとりのこれは感情だもの。苦しむのは勝手に私が苦しむのだし、関までその中に捲きこみたくないの。そんなことをすればあのひとは私を軽蔑するわ。あの人を愛することが、絶えずあのひとを束縛することになるのだから、そんな愛されかたをする時間はあのひとには当分ないのだわ」という心持のまま、この小説は終られている。この米子の心持のなかに語られている、愛されかた即ち愛しかたの問題こそは、この長篇のテーマにふれたものだけれども、それ以上には追求されないままに終っているのである。
 真知子に与えられた世俗的な「運の強い方よ」という言葉は、別な内容として、この一篇をよみ終った読者の胸にも湧く感想ではないだろうか。何故なら、真知子を反撥させていた河井の大資産家としての生活環境やその母の権柄などというものは、工場のストライキというひとの力で、労働者のおかげでその経済的な根拠を失わされ、真知子にとって、河井の生活へ結ばれてゆく、良心のなだめ[#「なだめ」に傍点]が運よくもつくられた。
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