人的な、特殊な限られた場合に於ける私事にしかそれは過ぎない。その日の民衆のかち得ているものや幸福、それを実現させているものに関係ない筈です。例えばこの社会で、どの家の誰かゞ歯痛に悩んでいることが、一般の飢や失業と関係はないのと同じで。――もしそれを何か関係があるように考えたり、一小部分の現象で全部の構成まで否定しようとしたりするのは、過去の個人主義的迷妄ですよ。」
 歴史の現実の歩みは、関の説明とは全く反対のものである。人々のかち得るもの、幸福と呼ばれるものの実体のうちに金銭問題以外に男女の生活の面で、過去の気まぐれで無責任であった関係を、より社会的な感情、社会的な責任ある連帯、社会的な施設に高め実現してゆくそのことがふくまれていなくて、何の幸福があり得よう。感情にはっきりしたよりどころもない性的交渉で、私的[#「私的」に傍点]に生れようとする子供を抱えて、一人の進歩を希う若い女性が個人[#「個人」に傍点]的に苦しむという状態が、そのままで「一小部分の現象」として、合理的の社会の全部に無関係にはめこまれて在るというような逆立ちした見とおしは、そのものとして全く奇怪である。階級の根絶ということは、階級社会のすべての社会悪の否定である。決して決して唯「貧乏がなくなる」というだけのことではない。社会生活の発展の現実は、各個人の感情そのもののうちにある過去の分裂を、統一に向わせるものではないのだろうか。物質的条件に立って実現する精神と性格の新しい展開こそ、人間の歴史のよろこびであるのではないだろうか。作中の一人物として、社会歴史の現実的展望を根本から誤って見ている関を典型として、その誤りに立脚してくりひろげられる関の思索に対立して「人間がめいめいの意欲をどう清算してゆけるか、その疑いで立ち往生した」真知子が全面的に正当とされている。読者の心にはつよい問いが湧いて来る。そういう関を分析し得ない作者として自然真知子のその疑問が導きのこされたのであろうか。それとも、真知子のその発言が表現されたくて、作者は関の非条理を許して来ているのであろうか、と。
 関と結婚するつもりで家を出た真知子には、その関を否定した今、此からの自分がどこへ行くべきか分らない。わかっていることは唯関について行けないということだけである。真知子は、地方の町へ赴任している姉の婚家へ行ってそこに滞在した。かつて彼
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