くるしむ勤労階級の婦人を、男への隷属から解放するためには、その形こそちがえ男も女とともに、その束縛の下に挫がれている資本主義社会の矛盾とその悪い伝習とをとりのぞかなければならないとする社会運動の努力に若い男女の熱意が傾けられた。そのような進歩への努力の道すじにおいてさえも、日本独特な過去の伝統が微妙に作用した。新しい世代の性道徳が建設されるのは、つまるところ新しい社会の招来以外にない。そのために生じる闘争の必要のためには婦人の貞操は一箇の私なものとして扱われるべきではなく、大きい階級の利害の下に歩み踰えられて行かなければならないものという考えかたが、一部の左翼的男女の間に生じた。本来、両性のいきさつを、よりひろくより健全な社会共同・男女連帯の責任の上にうち立てて行こうとしている筈の動きの間に、林房雄その他によって、ソヴェト同盟の革命当時、ブルジョア貞操観念に機械的に反撥したコロンタイの「赤い恋」「偉大な恋」などが紹介され宣伝された。コロンタイの性関係に対する解釈は、既に当時ソヴェト同盟では批判され著書も売られていなかった。それだのに、日本の当時に、一時期にしろそういう誤った考えかたがつよい影響をもったのは何故であったのだろうか。
 ここにも日本の旧いものと新しくあろうと欲するものとの間の錯雑した矛盾があらわれた。社会の経済、政治、文化、生活全般に亙るより健やかな関係の設定の可能が、どの程度具体的にあらわれているか、その段階に応じて期待される両性関係の改新だけを、観念の上で性急に局部的に解決しようとしても、それは現実的でなかった。しかも階級闘争の必要のためには、婦人の貞潔などは拘泥されるべきでないと云ったそれらの人々が、育ち、生きて来た伝統そのものは、昔ながらの日本の封建的な男の身がっての習慣であった。新しい言葉で云われるその階級の必要ということで、女性の貞操に対する従来の宗教めいた考えかたを否定するにしろ、それは、男性の側から、やはり奥底では昔ながらの男の性生活における利己の習俗を、ちがった理窟と形とで肯定する立場で持ち出されていたという複雑な混乱があった。
 時代の振幅はひろかったから、解放運動に身を置いている若い男女の間にそういう問題があったばかりでなく、既に結婚生活に入っている者の感情にも、過去のしきたり[#「しきたり」に傍点]が自分たちに強制した結婚や家庭生
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