活に対して、公然の疑問と反撥をもって、古い狭い枠を犇々と押したのであった。
片岡鉄兵の「愛情の問題」という小説は、当時、階級運動に従っていた男女の一部にあった誤った性関係の見かた――闘争への献身は、性的交渉について、女が自主的に選択し判断してゆく権利を棄てることである、という考えを、そのまま書いた作品として批判された。
これに対して、窪川稲子の「別れ」は、荒い波の間に闘いながら互の愛を守ってゆく夫婦の物語がかかれている。同時に「別れ」は女が母となる、という自然なよろこびさえ、当時の活動の条件では自然なよろこびとしてうけとれなかった痛苦の物語でもある。
この時代をめぐる前後の十年間に、家庭内の取材から次第に社会的な題材へと取材の輪をひろげて来た野上彌生子は、一九二八年(昭和三年)から長篇「真知子」を発表しはじめた。
東京の上流とも云うような生活環境に育っている真知子は、帝大文学部の聴講生だが、何ぞというと身分とか対面とかを令嬢としての彼女に強いる家庭と、その周囲の生活気分に絶えず苦痛を感じている。友人の米子が、経済上の理由から聴講をやめ職業につくことになったのがきっかけで、学外の左翼活動に入って今は学生でなくなっている関三郎という人物と知り合う。作者が関という人物を、どう描き出しているかということが興味をひく。東北の或る村の水車小屋の息子として彼は生れた。そして、社会発展の歴史の新たな認識は血の問題だという信仰をもっている。彼が下宿している窓の下に脳病院があって、そこから聴えて来る狂人の咆哮を、関は寧ろ痛快に感じて聞く。はじめは純文学の仕事をする積りだったという関、階級闘争に参加している一方ではギリシャの古詩を愛読しているということを、関の性格を語るモメントとして、作者は描いている。
関との初対面で真知子のうけた印象は、何て威張っているのだろうという気持と「変な不快さと気味悪さ」に交って「額と眼に特長のある蒼白な容貌には」文学をやっても屹度出来たのだわ、この人なら。と思えたという感想である。真知子をとおして代弁されている作者の、当時の青年の一つのタイプに対する感覚も面白く思われる。
河井という考古学専攻の資産家の息子から真知子に対して示される関心、やがて彼からの求婚、それに対する周囲の卑俗なよろこびかたに対する反撥が、次第に真知子の心に関の存在をあざやかに
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