で作中に見えがくれしている。
宇野千代と林芙美子とはどちらも、時代の進歩的な空気に道を拓かれるようにして婦人作家として出現した人々であった。それにもかかわらず、この二人がその時代的な雰囲気だけをわが身の助けとして、婦人として、芸術そのものの発展の可能についてさえ思いめぐらさず、「女に生れた幸運」やポーズされた「孤立無援」「詩情」を、文筆の商牌としたことは、この人たちばかりの悲劇であるだろうか。
世俗の心情が世路のかたさ、社会内の利害対立、そこからおこる文芸思潮の相剋などから暫くはなれて未来はどうあろうと今このひとときの気のまぎらしをと求めるとき、一人の婦人作家が、くりかえす、私は孤立無援であったという述懐は、そこにひきつける何かの共感をもって響いたにちがいない。云うひとには、その効果が知られてもいたであろう。一定の文学団体に属して、埃を浴び、あるときは避けがたい傷を蒙ったりするよりは、「女であることの幸運」にたよって、その小説は女が書いたのだということにもたれる興味の水脈をつたわって、ジャーナリズムとその購買者に結びついて行ったことは、深く考えさせられる点である。そして、その面で獲られた或る期間の成功が、却ってそれらの作家の文学の限界をなしたのであった。
宇野千代、林芙美子というような婦人作家たちのこういう文学上の足どりは、横光利一や小林秀雄などの出現とその存在の過程と本質において似かよった軌の上に立っていると考えられる。
横光利一や小林秀雄は、芥川龍之介が理性の冴えたインテリゲンツィアらしく率直に「漠然とした不安」の抗しがたいことを告白した、その社会と文学との発展がひきおこす歴史的に必然の動きを、糊塗してみせる手腕で存在しはじめた作家、評論家であった。芥川龍之介が生命を絶った次の年「『敗北』の文学」を書いた宮本顕治と時を同じく評論家として登場した小林秀雄は、その思想の骨格を先ず「批評とは己れの夢を語ることだ」という命題においた。同じ頃発表された蔵原惟人の「批評の客観的基準」という論文と対比して、無邪気な、好奇心にとんだ人々は、小林秀雄の発言があんまり素朴で疳だけはつよい面白さに目を見はったのかもしれない。「あらゆる人間的真実の保証を、それが人間的であるということ以外に、諸君はどこに求めようとするのか? 文芸批評とても同じことだ」「プロレタリア派だとか、芸術
前へ
次へ
全185ページ中124ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング