精神の桎梏を何かの動機で一気にかなぐりすてて、生のままの人間一人の生きる爽やかさをもちたいという抑えがたい欲求があった。その自己の苦悩と欲求から出立して、社会により合理的な人間生活の可能をもたらそうとする熱意は偽りなく、この人間的願望が、彼を無産者文学への理解者としたのであった。解放ということの意味を直感させていたのであった。「カインの末裔」「或る女」などと「小さき者へ」などの対比はこのことを語っていると思う。
執筆や講演に多忙を極めた四年間の疲労と、愛妻を失ってから、三人の息子たちの父として自分に律して来た日常生活の停滞感とが彼を襲っていたとき、新しい無産者文学理論が、彼に芸術家として自身の属している社会の層の本質について、烈しい反省を促したのであった。
当時プロレタリア文学理論はさきにふれたように、未熟で、文学の基盤を云うとき、個々の作家の出身階級や題材だけを現象的にやかましく階級的見地から批判して、有産知識人の進歩的な部分がもっている発展の可能や必然を理解し得なかった。人間というものが、偶然生れた場所、その階級から自主的に移ることの出来ない樹木のように見られた。有島武郎の「宣言一つ」は、様々の点で歴史的意味がある。当時のそういうプロレタリア文学理論の未熟さに向って、彼としての良心、激情性、感傷をうちからめ、無産階級の文学発生の必然を認めることはとりも直さず自身をこめて知識階級というものの成長の可能を否定するものでなければならないと考え、作家としての自分の存在の意義さえも最も受動的に固定させたものであった。この「宣言一つ」の中で、武郎は自分の出生、教育が、勤労する人々と同じでないから彼等にとって自分は無縁の衆生の一人である。新しいものになることは出来ないことだから、成らして貰おうとも思わない。彼等のために働くという「そんな馬鹿気切った虚偽も出来ない」と、彼は、当時の考えにしたがって、体で働いているものでなくては、どんな学者でも、思想家でも、歴史の進歩に真に寄与することは出来ないと考えたものであった。
今日になって見れば、有島武郎のこの考えかたの誤りは、全く当時のプロレタリア文芸理論家たちが抱いていた階級闘争と階級の関係、また文化との具体的な関係を見る上での未熟さを反映したものであった。文化・文学が、階級の動きとの関係で見られる場合、文学はただ従の関係でだけ
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