欲が主張され明治以来の既成文学の本質が見直されはじめた。明治十九年に発表された坪内逍遙の「小説神髄」は十九世紀以後イギリスのリアリズムの流れを日本につたえ、馬琴の小説などが封建的なものの考えかたの典型としてその文学に示した非人間的な勧善懲悪主義を否定した。現実は、支配者にとって好都合な善と支配者にとって不都合な悪とに分けて見ることも考えることも出来ないものである。人間の本質は、二つのどちらにも固定して考えられるべきでない活きた肉体の中に動くと見る近代のブルジョア自由主義のリアリズムが主張されたのであった。その後の日本の文学はどんなに発展して来ているであろう。
 明治より大正中葉まで出現した殆どすべての作家は、大学出身者であった。夏目漱石、鴎外の文学は、学識の文学であり、大正初頭に才能を発揮しはじめた芥川龍之介その他『新思潮』を中心として出発した、当時の中堅作家たちは、いずれも文化と文学の貴族性が、何かの意味で身についている人々であった。けれども、人口の過半をしめる民衆の日々の生活と文化とはどこで漱石の作品と一致し、どこで芥川の文学に共感する現実をもっているだろう。既に吉野作造の万人の福利のデモクラシー思想の時代から、過去の文化、文学が支配階級のものとして生れ、民衆生活に無関係であることに対する反省がまきおこった。大杉栄がロマン・ローランの民衆芸術論を訳し、「民衆のための、民衆によって創られ、民衆のものである芸術」としてのより広汎な民衆の生活を反映するものとしての新しい文学が、待たれた。「民衆芸術論」がおこった。小川未明、加藤一夫などという作家は熱心な「民衆芸術」の提唱者であった。この民衆の芸術を求める動きは次第に、ぼんやり云われていた民衆というものをブルジョア階級に対立するものとして現代の社会にあらわれた無産階級としてはっきり認識するようになって来た。そして労働文学又は王、貴族、ブルジョアに対する第四階級たる無産者の文学を求める第四階級文学が提唱されはじめた。一九二一年(大正十年)頃労働者出身の作家として現れた宮嶋資夫が労働文学を、平林初之輔は、第四階級文学として、どちらも無産大衆の文化と文学とを求めたのであった。
 平林初之輔によって第四階級の文学が提唱されたことは、無産階級の文学理論における一つのはっきりした発展であった。第一に平林初之輔は、従来の民衆芸術論でぼ
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