んやり対象としていた民衆の本質を、比較的正確に、搾取されている階級プロレタリア「第四階級」と理解して、新しい文学芸術は、この第四階級のものであり、その声でなければならないことを明らかにした。第二は、真・善・美というものを、これまでの美学は一定不変の概念と思っていたが、そうではなくて、美しさの内容や感じかた、善と見る判断のよりどころ、真理とする理解の標準は、民衆芸術論の時期に考えられているように「万人共通の超階級的」なものではない事実を把握した。虐げられている大衆が、よりよく、より人間らしく生きようとして、その要求に立つ示威行進をするとき、要求される側のものの感情が、素直に自然にそれをよいこととうけとるだろうか。はりつめた思いで汗をたらし、行進して来る民衆の列を、現代の新しい美の可能と思って、妻や娘にそれを見せようと願うであろうか。行進が街に出現したその現実が、現代社会の対立の真実の一面であることがそれらの人々に諒解されるであろうか。第三に、第四階級文学の理論の中に、平林初之輔は「第四階級の芸術は(中略)反抗階級の思想的武器として生れるのだ」と云って、階級対階級の闘いとしての政治と文化との関係にもふれはじめたのであった。
これらの無産階級文学の理論は、その後の発展から見れば、素朴であるしおおざっぱでもあるけれども、従来の文学の惰勢的な存在にあきたりない広汎の人々の共感を誘った。中心となっていた小川未明、秋田雨雀、藤森成吉、前田河広一郎、宮地嘉六、宮嶋資夫、内藤辰雄、中西伊之助などのほか、近藤経一、有島武郎などという作家も、この新しい文学理論の同情者であった。
けれども、ここに決して見落すことの出来ない一つの歴史的事情がある。それは、当時提唱されはじめていた自然発生の労働文学、反抗文学、第四階級文学理論の中には、政治と文化との現実的な関係と、階級闘争におけるプロレタリアートとインテリゲンツィアの歴史的な役割についての具体的関係が、ちっとも科学的に究明されていなかったことである。しかも、第四階級の文学と云っても、その理論を組立て、その動きを主唱しているのは当時の急進的なインテリゲンツィアと、ほんとに自然発生に、偶然生れながらもち合わせた文才によって小説をかきはじめた無産階級出身の一二の人々であった。労働問題は活溌におこっていて、組合の組織もまとまりはじめてはいたものの
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