生活への自覚に多くの刺戟となり、成長の足場ともなったが『青鞜』をかこむ若い婦人たちは、自分たちを新社会へのチャンピオンとして感じながら、目のつけどころはその人々の直接周囲の習俗、恋愛、結婚、家庭の問題の革命に向けられ、彼女たちの目の前には少し遠くあった勤労階級や農村婦人の一生、そこで挫かれてふみつけられた当時五百三十万人の女としての悲しい無言の訴えを、自分たちの声につづくものとして感じてはいなかった。
第一次大戦終結の前後、ロシアの人民が悪夢のようなツァールの政権をとりのぞいて、世界にはじめて社会主義の社会を出発させ、他の多くの国々でも封建の要素のつよい王権を排除した。世界の理性は個人の幸不幸もその社会全体の幸不幸と直接関係していることを学んだ。これまで男対女の問題として個人生活の枠内で見られて来ていた軋轢、相剋、成長の欲望が、この時代に入ると所謂男女問題の域を脱して、はっきり帝国主義の時代にまで進んで来た資本主義社会の矛盾を生じる課題として、その社会的な動機原因にふれてとりあげられるようになって来た。そして、社会の動力として日々の社会的な労働に従っている人口の九割以上をしめる勤労男女の生活が、民衆の福利という民主主義及び社会主義の観点から考えられ行動されて来た。其につれて、婦人問題の中心は次第に参政権問題ではなくて婦人の労働条件、母性保護の問題にうつり、婦人がこれまで対男子の問題として来たすべての矛盾苦痛は、彼女たちの労力によって利得する階級とその利得を得てゆく方法とへ向けるものとして視点がのびて来た。例えば、女が一日一円以下の賃銀で九時間から十二時間働くから、男が失業するというような、働く男女が互に利害の上で衝突し合うような仕組みとされている現実に対しても、これまでのように働く女を働く男の邪魔と見ず、その根柢に横《よこたわ》る男女共通の勤労階級としての利害を理解して、しかもその上に、女の母性が必要とする様々の条件を見て行こうとする段階に歩み出して来たのである。
婦人の動きのこの足どりは、当時日本ばかりでの現象ではなかった。大戦の間男に代って生産に従った婦人たちのイギリスでは、この戦争の後、婦人の参政権が認められた。アメリカの労働組合の活動に婦人が大幅に活動しはじめたのもこの前後である。
当時約十七万人ばかりの「職業婦人」と呼ばれる層は、主として女学校や専門
前へ
次へ
全185ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング