あり、それを信じることによって女の運命もひらかれるという視点から見られていることである。自身たちの社会的条件のなかにある封建的なものとたたかうのに、封建的という語彙さえ知らなかった当時の若い人道主義者たちは、同時に自分たちのお尻についている痣として、自分たちの環境からしみ込まされている女に対する封建性を全く自覚しなかったということは何と深い暗示だろう。
『白樺』が、同人の中に社会的な出生を同じくするような若い婦人を一人も持たなかったということには、外見にあらわれている現象よりも深刻な歴史が、その蔭にたたみ込まれている。生活環境の伝統が上流の若い女のひとに、芸術を趣味以上につきすすんだ仕事とすることを許さなかっただろうし、又、『白樺』の人々の生活は、婦人の才能を、それとして自立させ人類的に成長させる手伝いをするよりも妹、愛人、妻、母として自分たちの生活を肯定してついて来る愛の道すじにおいてより美しく彼女たちの美と成長とを見ようとする傾向がつよかったことがよくわかる。
これに対して、当時、社会的な生活の向上をもとめて熱烈な表現をしていた若い女性たちの多くは、地方から文化の中心である東京へ新生活を求めて出て来ていた人々であった。上流的というよりは中流の或は地主としての空気の中に生れた女性たちであった。そういう肌合いは、『白樺』の人々が身近く感じている女性と、言葉づかいからして違っているわけであったろう。『青鞜』のグループと『白樺』とが若い世代の動きとして共通した脈絡をもち得なかったことには、末期の『青鞜』に『平民新聞』廃刊後のアナーキズムの色が流入したからというばかりでない内奥の理由もある。この事実を、十九世紀後半欧州各国に萌え立った文芸思想運動の中で、若い男女がどんなに共同の動きをして来たかということに思いくらべると、日本の歴史の独特さについて深い感慨にうたれざるを得ない。『白樺』も『青鞜』もくりかえし、「運動」をおこそうとするのではないと、云っているところも、時代の陰翳として見られるのである。
或る意味で『白樺』の影響をうけ、しかし女としての成長の過程では『青鞜』時代というものを全く知らないで、自分が「貧しき人々の群」を発表したのは大正五年の秋であった。ロマンティックな要素とリアリズムの入り混った人道主義の作風で描かれた窮乏の農村生活の絵であり、幼稚ながら、作家の
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