が、その本源的な自分というものの内容が社会的に考えられたとき、どんな生活環境の伝統と習俗と気風とを因子《ファクター》として成り立っている「自分」かという客観的事実については、考えられなかった。従って、『白樺』の人道主義の傾向は、主観的でロマンティックな要素を多分にふくんでいた。人間的欲求の真実に立って生れたことは事実であるが、その半面には、『白樺』の人道主義が、個性の完成を社会条件と照し合わせず、内面的の可能でだけ見るそのことに、明治四十年末から大正初頭にかけての日本の社会が面していた反動の情勢が如何ほど相殺の力で作用していたかという機微をもうかがい得る。
『白樺』の各人の主観的誠実は年を経るままに種々様々の風波を閲した。その中から有島武郎を出すとともに、里見※[#「弓へん+享」、第3水準1−84−22]のまごころ哲学の常套をも生み、武者小路の自在と云えば自在だが、現代の社会の様相の中では或る場合に悲しき滑稽としてしかあらわれない「生きぬいた人」の無軌道な評価の態度が講談社本の製作ともなって転化していることは周知のとおりである。
『白樺』と『青鞜』とは歴史の上で併行してあらわれたのであったが、『白樺』の人道的傾向は、婦人の歴史性についてどんな態度を示したろう。
 この人達の人生態度として、一応女性の人間性、女性の個性のゆたかで自然な成長を求め、互が人間として高まるモメントとして両性の結合をも見たのは動かせない事実であった。けれども、『白樺』の人々が、内心の問題として自分たちをとりかこむ封建ののこりの強い上流的或は公卿的日常から個性の人類的成長の翹望へ向いながら、朝夕の現実としては依然として生れ出た社会的環境の偶然にとらわれたままであったという事実は、『白樺』の人道主義が、そこにおのずから限度を置いたとともに、両性の問題に対しても新しい時代を画してゆくための重大な支障であった。
 男が人間として本心に忠実に生きなければならないとおり、女も自分の本心の声に従って生きるべきであることを、『白樺』の人々は当然認めざるを得ない。愛を貫くことで雄々しくあれ。運命を信じよ。武者小路実篤の初期の作品には、そういう意味で女の生活の主張を鼓舞したものがあるが、実に興味ある点は、それらの作品が、屡々殿様対侍女という人物構成で扱われていることである。そして信じよ、と云われる運命が男の運命で
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