共通の感情であった。『白樺』の人々は、武者小路実篤が云っているとおり、主義、主張が一つだというのではなく、めいめいがめいめいの立場をもちながら、それぞれの立場で「自分が情熱を感じて書けるものだけ書こうとし」「個人は個人に与えられた宝を出来るだけ立派にして地に生かして、そして死んでゆくことを人類は望んでいる。」「人類が全体として生長しようとする意志がある事実を認めること」を芸術の仕事への精励と不可分として感情に湛えていることで、自然派とは全く対蹠的な誕生をとげた。同時に『スバル』の象徴派とも、谷崎潤一郎などの色彩つよいネオ・ロマンティシズムとも、又、現実から一歩身を退かした漱石の文学態度とも別種の、人間の新しい肯定としてあらわれたのであった。
個性の成長とその十分な開花の希望とを人類全体につたえたいからこそ仕事をするのであるという確信は、歴史の縦糸を辿れば、自然主義思潮に洗われて自己の目ざめを経た後でなければ、発生し得なかった動向であった。同時に、日本の自然主義が社会の伝統に風化されて、次第に小市民的な家庭生活の身辺描写に追い込まれて行ったのに対して、『白樺』は「殆どすべて食うことに困らなかった」上流青年の自己高揚拡大への意欲であるという社会的本質をも併せもった。
自己を生かし抜いた人々として天才への曇りない讚美が『白樺』を一貫した一つの特色であったことも、以上の思想感情から肯ける。当時の日本の若い知識人の間に美術家としてセザンヌ、ゴオホ、ゴーガン、ロダン、文学者としてホイットマン、ブレーク、ロマン・ローラン、音楽家の人類的選手としてベートーヴェン等への熱愛が高められ、自然主義の自己検討の内向性は、個人のうちにひそめられている可能に対する人類への責任という見方へと、内面の真実を尊ぶ傾向へとに推進したのであった。『白樺』の人道主義は、当時にあって人生に積極なものを求めるあらゆる若い心を捉えたと云って過言ではなかったのである。
ところが、今日顧みれば『白樺』の人々の人間性肯定とヒューマニスティックな意欲は、当時の日本文学に新鮮溌剌な気息を導き入れたにもかかわらず、自己のうちに人類の意志を感じるという場合、それは全く主観に立って云われていたものであったことも見落せない事実である。
芸術家としての本心、実感というものは主観的に「自分としては」という角度から監視を受けた
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