うように思われた。
 考えて見れば、私が今日までしていたことの大部分は人を恵むということに餓えている心を満たしていたのじゃあないか? 私は彼等に衣服をやり、金をやり、食物をやり、同情したが、それ等は、彼等の一生に対してどんな意味があるのか?
 若し私がほんとうに、大きな愛で彼等をつつみ、深い同情で引きあげようとしたのなら、新さんを死なせずに済んだろう!
 善馬鹿を酒のみにしないで済んだのだろうに。――
 けれども二人は、私がどうも出来ないうちに死んで埋められようとしている。ほんとうに、私がどうもしないうちに、なるだけのことはちゃんちゃんとなってしまったのである。
 新さんが、自分の命の尊さを知るまでに私が力づけることは思いもよらないことであった。
 私はどうしても、彼等を真に愛してはいない。また愛せない! どうしたら好いのだろう。
 私はとうとう失敗してしまったけれども、彼等に対して何かしてやらなければならないという望みばかりが、どれほど私に情ない思いをさせるだろう!
 私は、お前方の前には、罌粟粒《けしつぶ》ほどもない人間だったのだ。お前方には、気に入らないことも馬鹿馬鹿しいことも沢山したかもしれない。私は、今まで尊がられていたいわゆる慈善だとか見栄の親切だとかいうものを、お前方のためを思うばっかりで、散々に打ち壊した。追い払ってしまった。
 けれどもその代りとしてあげるものはどこにあるか?
 私の手は空っぽである。何も私は持っていない。このちいっぽけな、みっともない私は、ほんとうに途方に暮れ、まごついて、ただどうしたら好いかしらんとつぶやいているほか能がない。
 けれども、どうぞ憎まないでおくれ。私はきっと今に何か捕える。どんなに小さいものでもお互に喜ぶことの出来るものを見つける。どうぞそれまで待っておくれ。達者で働いておくれ! 私の悲しい親友よ!
 私は泣きながらでも勉強する。一生懸命に励む。そして、今死のうというときにでも好いから、ほんとうに打ちとけた、心置きない私とお前達が微笑み合うことが出来たらどんなに嬉しかろう! どんなにお天道様はおよろこびなさるか?
 私の大好きな、私を育てて下さるお天道様はどんなに、「よしよし」と云って下さるか! あの好いお天道様が。……
 善馬鹿の死骸は夜になってから見つかった。
 隣村の端れの沼に犬を抱いて彼は溺れていた。
 沢山の小海老《こえび》の行列が、延びた髪の毛の間を、出たり入ったりしていたという。



底本:「宮本百合子全集 第一巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第一巻」河出書房
   1951(昭和26)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年1月1日公開
2003年6月29日修正
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