んざりして来た。
 喉が乾いたり、暑かったり、化粧崩れに気が気でなくなった一行が、皆いらいらした気持で或る百姓家の前に来かかったとき、いきなり行手を塞いで焼けつくような地面に坐り込んだ者がある。
 あまり突然なことにびっくりして、婦人連は後しざりをしようとすると、すぐ手近に立っていた一人の裾を両手で掴みながら、
「おっかねえもんじゃありゃせん。どうぞお願《ねげ》えをお聞き下され」
と涙声を振り絞ったのは、誰あろう善馬鹿のおふくろである。
 婆の後には、善馬鹿と白痴の子がぼんやり立っている。婦人達はまごつき、ついて来た手合は笑いながら立ちどまった。
 狒々婆《ひひばばあ》は軋むような声を張りあげた。
「お情|深《ぶけ》え奥様方! どうぞこの気違《きちげ》え息子と、口も利《もと》んねえ馬鹿な餓鬼を御覧下さりやせ」
「どうぞ奥様! 俺らがようなものこそー憫然《ふびん》がって下さりやせ。どこに俺等ほど情ねえもんがありやすッペ。どうぞお恵み下さいやせ」
 裾をつかまえられた婦人は泣声を立てて、
「まあ、どうしたのです。さあ、そこをお離し! 行きゃあしませんよ。さあ早くお離しってば!」
と、自分の方へ引っぱっても、
「いんえ、離しゃせん。金輪際《こんりんざい》離しゃせん。どうぞ聞いて下され。ほんに俺らがように……」
と尚強く握って地面にへばりついた。あまりのことに婦人達は、総がかりになって、婆を嚇《おど》したり、すかしたりしたけれども、なかなか離しそうにもない。
 皆が、てこずり抜いて、着物の裾を引っぱり合いながら、途方に暮れている様子があまり滑稽なので、周囲の者は、思わずドッと囃し立てた。
 そうすると、いきなり人垣の間を分けて、犬のように飛び出した一人の男の子が、
「やーい! やーい! 醜態《ざま》見ろやい!」
と叫びながら、手足をピンピンさせた。
 甚助の子である。
 その一声に、何か云いたがってムズムズしていた他の悪太郎共の口は一時に開かれた。
「弱《よえ》えなあ。そげえじゃらくらした阿魔ッちょに何出来ッペ!」
「婆様手伝ってんべえか!」
 黄色い砂塵に混って、ワヤワヤ云うどよめきの中を、
「お情深え奥様方! どうぞおきき下され。俺らげの気違えと白痴《こけ》野郎が……どうして生ぎて行《え》かれますッペ!」
と婆の声が、切れ切れに歌のように響き渡った。
 婦人達はすっかり度を失ってしまった。逃げ出したくはあっても、獣のような彼等に敗北して行くのはあまり口惜しい。皆興奮し、ヒステリックになってちょっと指を指されても大声を上げそうになっていると、甚助の子は、ぼんやり立っている善馬鹿の耳端で何かささやきながら、妙な身振りをして彼を突飛ばした。
 突飛ばされて、彼は真直に婦人達の中に入って、
「へ……。へ……」
と笑いながら、見ていられないような様子をしはじめた。
 婦人達は恥かしさと、怒りで真赤になり、袂を顔にあてながら、
「失礼じゃありませんか!」
「あんまりです! 何をするの?」
と叫びながら立ち去ろうとした。
 こうなると貧民共の獣性はすっかり露骨になってしまって、大人までが聞くに堪えない冗談を浴せかけた。
 会長夫人は気が違いそうになった。そして涙を目一杯にためながら、傍の人から金包みを引ったくると、狒々婆の顔へギューギューと押しつけて叫んだ。
「は、早く行って下さい! あまり、あまりひどい。さ! さ! 早くってば! あまり……」
 婆さんはようよう立ち上って、善馬鹿を向うに突飛ばしながら、非常に落付いて、
「どうもお有難うござりやした。おかげさまではあ三人の命がたすかりやす。御恩は決して忘れましねえ」
と云うと、三人一かたまりになって、満足げに行ってしまい、人々の騒ぎはよほど鎮まった。
 さすがの婦人達も暫くは、気抜けのしたように立ったまんま、どうすることも出来ずにいた。
 けれども間もなく、会長夫人は辛うじてその威厳を回復して、群集一同を恐ろしい目で睨み廻した。そして、黙ったまんま皆の先に立って歩き出した。
 何という帰り道のみすぼらしさだろう! 甚助の子は遠くの方から、馬の古鞋《ふるわらじ》をなげつけたり、犬を嗾《けしか》けたりしてついて行ったのである。

        十五

 町の婦人連は来た、金を撒いた、そして帰って行った。
 ただそれだけのことである。けれどもそのために、狭い村中の隅から隅まですっかり掻き廻されてしまった。
 子供等は、盆着を着せられて、村にただ一軒の駄菓子屋の前に、群がってワヤワヤ云っている。
 大人どもは、貰った金を、何にどう使うかということで夫婦喧嘩や親子喧嘩をして、互同士の嫉みが向う三軒両隣りに反目を起させた。
 けれども、私の家だけは、相も変らず「繁昌」しているのである。
 一昨日と同じよ
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