間が育って行くのである。
 病気になれば、医者にかけるより先ずおまじないをするので、腐った水をのまされたり、何だか分らない丸薬を呑まされたりして、親達の迷信の人身御供《ひとみごくう》に上るものは決してすくなくない。
 体は丈夫に育っても、親達がその日暮しに迫られているので、子供を学校という暇つぶしな所へはなかなかやられない。
 女の子は早くから母親の代りをして家のことをとりしきってしなければならず、男の子は弟達の世話や畑の小仕事に使われる。
 小作の親達は、子供等が小作の境界《きょうがい》から脱けられるだけの力をつけてやれないので、小作の子は小作で終ってしまうのが、定りのようになっているのである。
 うざうざいる子供等は、だんだん衰えて来る親達に代って、地主共の食膳を肥すべく育っているようなものである。
 そのような様子なので、少し普通でない性格を持った子は堕ちるなら堕ちる所へさっさと堕ちて、少し大きくなればどっか好きな所へ飛び出してしまう。
 まして低能や白痴などはまるで顧みられない。村中の悪太郎の慰み物になっているより外ないのである。
 それゆえ善馬鹿とその子等も、村の者が笑いのたねにこそすれ、心配してやるなどということは夢にも思わない。
 善馬鹿の、名もない白痴の子は、豆腐を食べては子供等に馬の糞を押しつけられたり、髪が延びている所へ藁切れを結びつけられたりしているよりほかないのである。
 だんだん日数が経って、少しずつ自分の願いが叶いそうになって来るにつれて私は益々、白痴の子のことが気になってたまらなくなった。
 それで、私はどうにかして彼に近づこうとした。けれども、それはなかなかな仕事で、私の変に臆病な心持が、どうしても彼の傍に私の足を止めて置かせない。四五度遣りかけてはやめ遣りかけてはやめして、とうとうある日の夕方、彼のかたわらに私は立ちどまった。
 大変なことでもするように、私の胸はドキドキした。私は、人がかたわらへよっても見向きもしない子供の顔を見ながら、何をどう云って見ようかということを散々迷った。
 けれども、どんなことを云ったら、子供の心を引くことが出来るか分らなかったので、四苦八苦してようよう、
「どうしているの?」
と云った。
 この一句が唇をはなれないうちに、私はもう自分のやりそこないに気が付いた。
 どんな人でも、ぼんやりと、目にも心にも何にもたしかな物が写っていないとき、「どうしているの?」と云われたら恐らく、答えに窮するにきまっている。
 私は困ったことをしたと思いながら様子を見ていると、彼は暫くたってからのろのろと、顔を私の方に向けた。そして、非常に突出した、瞬きをすることの少い目玉を据えて、私を見ているような位置になった。
 私も彼を見ていた。私はほんとに注意して、観ていたのである。
 そうすると、だんだん彼の顔付が凄くなって、仕舞いには、「彼の感じ」がそろそろと私の顔に乗り移って来たような気持がして来た。
 もう、私は意地も我慢もなくなった。そして、一散走りに家へ帰ると、力一杯顔を洗い、鏡を見つめて、ようよう気が休まったのである。
 最初の試みは、私の例の幻覚ですっかり失敗してしまった。けれども、それから二度目三度目になると少しずつ彼に馴れて来た。
 が、やはりだまったまま一緒に立っているか、何か云って彼の注意力をためして見るばかりで、一向進むことはない。
 私は彼の囲りを、堂々廻りしているような工合であった。
 善馬鹿の子に対しては、全く何も出来なかったけれども、他のことは少しずつ好い方に向いて行った。
 足の裏の腫物のために悩んでいた百姓は、町の医者に掛って癒った。
 桶屋の娘へは、ときどき牛乳だの魚だのを持たせてやった。
 そして、ほんとに下らないことではあるが、癒った男が畑に出ているのを見たり、甚助の子供が、遣った着物を着ているのを見たりすることは、むしょうに嬉しかった。歩き出しの子供が、面白さに夜眠ることも忘れて歩きたがる通りに、私も一人でも自分の何かしてやることの出来る者が殖えれば殖えるほど、元気が付いた。
 また実際、どれだけしてやったらそれで好いという見越しはつかないほど、いろいろな物が乏しく足らぬ勝であったのだ。
 私は、自分の出来るだけのことを尽そうとした。
 けれども、私は「自分のもの」という一銭の金も一粒の米も持っていないので、誰に何を一つやろうにも一々祖母にたのんで出してもらわなければならない。
 それが、私のしようとすることが多くなればなるほど屡々になり、随ってだんだんたのむのが苦痛になって来る。
 が、然しそれは仕方がなかった。私はほんとに、無尽な財産がほしかった。そして、この村中を驚くほど調った、或る程度まで楽な者の集りにして、貧しい者は人間だと思わないよ
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