下や丁寧を何でもなく見ていたということは恐ろしい。
 私共と彼等とは、生きるために作られた人間であるということに何の差があろう?
 まして、我々が幾分なりとも、物質上の苦痛のない生活をなし得る、痛ましい基《もとい》となって、彼等は貧しく醜く生きているのを思えばどうして侮ることが出来よう!
 どうして彼等の疲れた眼差しに高ぶった瞥見《べっけん》を報い得よう!
 私共は、彼等の正直な誠意ある同情者であらねばならなかったのである。
 世の中は不平等である。天才が現れれば、より多くの白痴が生れなければならない。豊饒《ほうじょう》な一群を作ろうには、より多くの群が、饑餓の境にただよって生き死にをしなければならないことは確かである。
 世が不平等であるからこそ――富者と貧者は合することの出来ない平行線であるからこそ、私共は彼等の同情者であらなければならない。
 金持が出来る一方では気の毒な貧乏人が出るのは、宇宙の力である。どれほど富み栄えている者も、貧しい者に対して、尊大であるべき何の権利も持たないのである。
 かようにして、私は私自身に誓った。
 私は思い返した。
 自分と彼等との間の、あの厭わしい溝は速くおおい埋めて、美しい花園をきっと栄えさせて見せる!

        四

 私は、自分の生活の改革が、非常に必要であるのを感じた。そして、いろいろな思いに満たされながら、自分の今日までの境遇を顧みたのである。
 私共の先代は、このK村の開拓者であった。首都から百里以上も隔り、山々に取り囲まれた小村は、同じ福島県に属している村落の中でも貧しい部に入っている。
 明治初年に、私共の祖父が自分の半生を捧げて、開墾したこの新開地は、諸国からの移住民で、一村を作られたのである。南の者も、北の者も新しく開けた土地という名に誘惑されて、幸福を夢想しながら、故国を去って集って来た。けれども、ここでも哀れな彼等は、思うような成功が出来ないばかりか、前よりも、ひどい苦労をしなければならなくなっても、そのときはもう年も取り、よそに移る勇気も失せて仕方なし町の小作の一生を終るのである。それ故彼等は昔も今も相変らず貧しい。
 そればかりか近頃では、小一里離れているK町が、岩越線の分岐点となってから、めっきりすべての有様が異って来たので、この村も少からず影響を蒙《こうむ》った。そして、だんだんと農民の心に滲《し》み込んで来る、都会風の鋭い利害関係の念と彼等が子供の時分から持っている種々の性癖が混合して、毎日の生活がより遽《あわただ》しく、滞りがちになって来たのである。
 村の状態は決して工合が好いとはいえなかった。長い間保って来た状態から、次の新しい状態に移ろうとする境の不調和が、全体を非常に貧しく落付かなくしているのである。
 けれども祖父はもう十七八年前に亡くなって、ちょうど移住者もそろそろ村に落着いて来、生活が少しずつ、楽になったときの様子ほか見ていない。
 彼は、大体に満足して、村の高処《たかみ》に家を建て、自分等夫婦はそこに住んで、田地の世話を焼いたり、好きな詩を作ったりして世を終った。
 それで、後に残った祖母も、故人の志を守って彼の遺した家に住み、田地を監視し、変遷する世から遠ざかって暮しているのである。
 一年中東京にいた私は、夏になるとK村の祖母の家に行くのを習慣にしていた。そして、二月ほどの間東京では想像もつかないような生活をしているのである。
 私は村中の殆どすべての者に知られている。東京のお嬢様が来なすったと云って、野菜だの果物だのを持って来る者に対して、土産物を一つ一つ配ってやらなければならない。朝から小作男の愚痴を聞き、年貢米を負けてやる相談にのる。そして、かれこれ云うのが面倒なので、さっさと祖母にすすめて許してやると、大変慈悲深い有難い者のように私共を賞めたてる。お世辞を云う。
 私は皆にちやほやされながら、朝夕二度の畑廻りをしたり、池の慈姑《くわい》を掘ったり、持山を一日遊び廻ったり、すっかり地主の馬鹿なお孫さんの生活をしていた。誰からも、干渉がましいこと一つ云われず、存分に拡がっていたのである。
 それでも私は、尊《たっと》そうにされていたことなどを思うのは、今の私にとっては真《まこと》に恥しい。我ながら厭になる。
 何としてもどうにかして、村人の少しなりとも利益《ため》になる自分にしなければならない!
 それで、私は心のうちに種々の計画を立てた。そして、土地の開墾などということは――もちろんそこが人間の生活すべきところとして適当でありまた、栄える希望もあるところならばよいけれども――冬が長く、地質も悪いようなところへ、貧しい一群を作ったとしても、やはり非常に尊いことなのであろうかなどというような疑問がしきりに起ったのである。
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