だという不思議な様子にすっかりびっくりした。
 彼等は片隅に集って、
「ちゃんみたえな大人でもおっかねえんだなあ。――」
「ほんになあ、やっぱりおっかねえと見えら。――」
とささやきながら大人共と死人とを見くらべていた。
 男の死骸が下されたのは、それからやや暫くして村に一人の巡査と墓掘りが来てからのことであった。
 突張った体が戸板の上に置かれ、濡れて解き難くなった手拭を長いことかかってどけると、傍に立っていた一人は、思わず飛びしさって、
「新さんでねえけえ? う? 新さんでねえかよーッ!」
と、気違いのような声で叫んだ。
 急に周囲はどよめいて、沢山の頭が肩越しに一つの顔を覘き込んだ。
「や! 新さんだぞ! 新さんだぞ、こりゃあ!」
「どれ? ちょっとどいて見ね。や! ほーんによ! こりゃあ一体あーんとしたこった!」
「あげえな親孝行息子をとうとうあの鬼婆奴が、こげえな情ねえざまにしくさった! さっさとくたばれっちゃ、ごうつくばり奴!」
 皆は、単純な心で死ということを恐れているところに、あんなに人の好いおふくろ思いの新さんが、昨日まで口も利いていたのが僅かの間にもうこんな情ない様子になっているのを見ると、もうもうすっかり気落ちがしてただ無茶苦茶におふくろが憎らしい。口々に、まだ血気の新さんがどんなにおふくろに酷《いじ》められながらも親思いだったかということを賞め立てた。
「告発したら何という罪名になるでがしょうな? 殴打致死《おうだちし》でもあんめえし……」
 集った中での口利きが、得意らしく云ったけれども、まだ年若な無経験らしい巡査は、まごつきながら、かすれた声で早く家の者を呼べとせきたててばかりいて、そんなことには耳もかさない。
 一人の男は早速、大きな蓑をガサガサガサガサいわせながら耕地を越えて、水車屋の方へ馳けつけた。
 水車屋の家は、向うに小さく見えているのに、行った限《ぎ》りさっきの男はなかなか戻って来ない。皆はやはり新さんと同じような生れ付きで、人が悪く思えない性分だった親父のことなどを話しながら、折々手をかざしては、畑道を動いて来る人影に気をつけていた。
 あまりおそいので、二度目の使が立とうとしたときである。往還の向うから一人の婆が半狂乱の風をしてころがるように馳けて来た。
「やあ誰だべ? あげえにかけてるわ!」
「ほんになあ! 婆さまの癖にえれえ勢なこんだ」
 多勢の注目の中に馳け込んだのは、善馬鹿のおふくろである。
 まあ一体何というなりをしているのだろう?
 白髪が蓬々さかだって、着物の袖が片方千切れているのも知らないように、喉元でハーハー喘いでいるのだもの……。
「ま、善がおっかあでねえけえ。どうしただ。何いそげえに狼狽《あわ》ててんだ?」
「誰《だん》だえ? う? 首縊りしたなあ誰だえ?」
 婆は、真青な顔をして、皆を突きのけながら掛っていた菰《こも》をまくろうとした。
「あんすんだ。新さんよ! 水車屋の新さんが可哀《かわえ》そうにこげえなざまになっただよ!」
「気い落付けて、ゆっくら話しても分んでねえけえ」
 震えている婆を皆はなだめに掛った。
「何に? 新さん? 水車屋の新さんなんけ?」
 彼女は、がっかりしたようにためいきをついた。そしてしばらくだまっていたが、急に顔をしかめると、
「俺らげの善もな行方が知んねえ。そんに、今朝俺らに、どこの奴だか知んねえが、おめえの馬鹿が隣《となん》の村の、沼っぶちとかで妙な風してんのー見たぞと云って来たで……」
と云いながら、ポロポロ涙をこぼした。
 死ぬ筈はないから安心しろといくら慰めても、今度はきっと何か変事があったような気がしているからどうぞ死骸だけでも捜してくれと、婆は皆の前へ土下座をするようにしてたのんだ。
「あれの面倒よく見て置きでもしたら、俺ら案じねえ。けれど碌に飯も食わせねえでいただから、俺ら恐ろしい。きっと死んだら俺ら怨んべえ。どうぞ、どうぞ、こげえにねがうもん! 聞いてくんろーよ!」
 皆は、やはりこの二三日前からの天気は只事ではなかったと思った。
「一夜のうちに、二人も人間がくたばるたあ、何事だべ」
「解くに解かんねえ前世からの因縁事あ、恐ろしいもんだ」
「まったくおっかねえもんだ。が、俺《おい》らの力じゃどうにもしようがねえだ、南無阿彌陀仏……」
「せめても極楽往生させてえもんだなあ」
 集っていた者の半分は、婆を連れて、陰気にのろのろと、離れて行った。
 風が吹くたんびに、菰の端がめくれて、濡れしょぼけた着物だの、足の先だのの見える死骸の番をして、墓場の中に取り残された者共は、ほんとうに真面目な心持で、よく寺の和尚《おしょう》が話す、前世の宿縁とか、極楽とか地獄とかいうことを考えると、何でも黙って堪えていた新さんは、こうして死
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