いもし、同情もし、或る共鳴は感じていても、決して同じ者共とはなり得ないのである。
それなら、私がその同じ流れの中に漂って見たらどうか! なかなか自分の溺れないために人のことなどは見てもいられなくなる。
岸から竹を延している今までにも私はあきたらなくなって来たと共に、一緒に濁水を浴び、苦しまぎれに引っ掻きもがいて、手も足も出なくなって終ってしまうのは、ただ一度ほかない私の生涯にあまり惨めである。
で、私はほんとうに、謙譲になり丁寧になって、而も今の不平や恐れをなくするにはどうしたなら好いのか? 私は情ないような心持になってしまった。
どこかで、
「お前の花園は一体どうしたんだ? もうそろそろ芽生えぐらい生えそうなもんだになあ!」
と嘲笑《わら》われているような気もする。
けれども、私は諦めの悪い人間だ。どうしても、ものを「あきらめ」て静かに落付いて、次《つい》ではそれも忘れてしまうということが出来ない。
それ故「世の中というものは、どうせそんなものさ!」と落付いてしまうことが出来ないので、いつでも不平や、悲しい思いや、苦しい思いやをして、「賢明な人々」からは妙な同情を受けているのである。
今も私は「何でもない、自分が小さいからだけのことだ!」と諦めが着かない。
いかにも私は小っぽけな細い声を出して、何かゴトゴトいっているに過ぎない者ではあるけれども、もう直ぐの所に大変好いことがあるのに、またその好いことも捜し手を待ちかねているのに、見つけられないでいるのじゃあるまいかということがしきりに感じられる。ほんとに、ただ感じられているばかりなその一重向うの何ものかを求めようとして、私は目を見張ったり、手を動かしたり、ジーッと耳をすませたりしているのである。
かようなまた新しく湧き出した望みに攻められている間に、村はまた貧乏に戻る前の馬鹿らしい景気よさに賑わっていた。
村端れに酒屋が一軒ある。今まではさほど繁昌も出来なかったのが、このごろになってから急に客が殖えた。夕方になると野良から帰った百姓達の中心になって、一升と諢名《あだな》のある桶屋だの甚助親子だのが集って来た。
店先に床几《えんだい》を持ち出して、蚊燻《かいぶ》しをしながら唄ったり踊ったりの陽気さに、近所の女子供まで涼みがてらその囲りに立って見物をする。
善馬鹿は、いつも皆の酒の肴に悪巫山戯《
前へ
次へ
全62ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング