いながら彼等はやっぱり私共で飲食いし、平気で何をくれろとか、どうしてくれとか云っている。
私は、自分のしていることが極く小さな、例えば金をやるにしても一時にまとまって一円とはやらず、着物にしても、新しいのばかりはやらないので、却って彼等の生活には、さほどの悪い影響も及ぼさないのだと思わないではいられなかった。
若し私が、頭割に百円ずつもやったとしたら、彼等はその金の尽きるまではのらくらして暮して、また困って来ればどうかしてくれろと、よりかかって来るにきまっている。彼等に対してすることはいつも何でも限りがない。よしんば私が彼等の生活を助けようとして、自分の生計にも窮するほどになったとしたところで、彼等はやはり何か貰おうとする。何か呉れる所だと毎日せっせと押しかけて来るだろう。
町の婦人連の仕事は、予想通り失敗したとともに、私には、自分は一体どうしたら好いのだ? という恐ろしい疑問が残された。この気持は、甚助のことのときにも私を苦しめた。けれどもあのときは、自分のしていることにかなりの自信を持っていたので、幾分は勢《いきおい》付けられていたのであった。が、今度は、自分のしていることが、どうもほんとうに好いことではないような気がしてならなかった。
人が自分より力弱い者を憫れむとか、恵むとかいうときに、少しばかりでも虚栄心を持たないだろうか?
もちろん、すっかり世の中を悟ったというような人は別かも知れないが、少くとも、私共ぐらいの程度の人間では虚心平気に人を恵み、慈善を施すということは、殆ど出来ないことではないかしらん?
町の婦人達のしたことなどを見ると、慈善などというものは、或る場合には、恵む者が自分の金の自由になり、自分の勢力の盛なことを、自ら享楽する方便にほかならないようにも思われる。
少くとも、「ほどこす者」と「ほどこされる者」との間には、もう動かせない或る力の懸隔が起るとともに、自分等の位置からいろいろな感情が起って来るだろう。
それ故、私が随分彼等に対して、丁寧であり謙譲であろうとして努めていても、どこかにやはり「ほどこす者」の態度がきっとあるのだ。
彼等の仲間にはどうしてもなれない。流れて行く物を拾おうとして、岸から竹竿を延しているので、決して一緒に流れながら掴えようとしていないのを自分で知っている。
たとい表面的には、畑へも出、収穫の手伝
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